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macskatze

中東欧好きによる長いひとりごと

シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界 Ⅰ・Ⅱ』 感想

シュテファン・ツヴァイク、原田義人訳『昨日の世界 Ⅰ・Ⅱ』
みすず書房、1999年
原題 "Die Welt von Gestern, 1944"


十九世紀後半から戦間期のヨーロッパを生き、自由と平和を愛した、オーストリア出身の作家の自伝。
「裕福な生い立ちだったツヴァイク」というフィルターを通してにはなるけれども、当時のウィーンやオーストリア、そしてヨーロッパの人々の生活や生き様を知りたいなら間違いなく第一級の資料です。
優しく高貴な人柄でありながら、歴史作家ならではの鋭い観察眼を持つ彼でなければ書き遂げられなかった偉業だと思います。



古きよき時代と謳われる世紀末ヨーロッパの描写は郷愁に包まれながらも、熟れた果物のように甘酸っぱくて柔らかな光に満ちあふれています。
その時代を軍靴で乱暴に踏みにじるかのように「突然」訪れたWW1の残酷な描写。孤独との戦い。そして、終わった後に訪れた「誰も望まなかった国」オーストリアの息絶え絶えな描写があまりに切迫していて、読んでいるこちらも息切れするくらいに胸が苦しくなりました。
(「突然」というのはあくまでその時代を生きた彼らにとってはという意味です)

WW1終了直後のオーストリアが自力で立つことができない悲惨な状態であったことは、どの歴史資料を読んでも共通している印象があります。
それはまぎれもない事実だったのでしょうが、ツヴァイクの遺したこの証言が歴史家の方々の根底の一つとしてあるのかもしれません。

ツヴァイクが作家として世界的な名声を得るのはこの苦しい時代を乗りこえた後だったというのは、この本を読んで初めて知りました。
そうしてようやく訪れた安泰の日々もつかの間のことで、ナチスの台頭によって奪われてしまう。
彼は、ナチスが憎んだ、「裕福な」ユダヤ人だったから。

作中のそこかしこで、ツヴァイクが出会った人々についての詳細な記述が紡がれています。
鋭い観察眼を持ちながらも彼の人柄を表すその温かなまなざし、書きしるした人々に対する穏やかで丁寧な姿勢が文章からひしひしと伝わってきて余計に切ない。それは自分と意見が異なる人々に対しても変わらないのです。
作中であからさまに嫌悪を示したのはナチスヒトラー)と戦争を扇動するもの(人そのものではない)だけではないでしょうか。


ツヴァイクは、亡命後のホテルの一室で、「頭脳のうちにだけある回想」=自分の記憶を手がかりにしてにこの本を書いたのだそうです。
あらすじにも掲載されている有名な文ですが、はしがきより引用します。

" なぜならば私は、われわれの記憶というものを、ひとつのことを単に偶然保有し別なことを偶然喪失する要素とは考えずに、意識しながら整理し懸命に無駄をはぶく力と見なしているからである。人が自分の人生から忘れ去るすべては、元来、内面の本能によってずっとそれ以前にすでに忘れ去られるように定められたものなのである。ただみずから残ろうとする回想だけが、ほかのさまざまな回想にかわって残される権利を持つ。それでは語れ、選べ、お前たち回想よ、私にかわって。そして少なくとも私の人生が暗黒のうちに沈む前に、私の人生の映像を見せてくれ!"
シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界 Ⅰ』11頁


彼はまさにE・H・カーが言うような「知識人」であり「理想主義者」であり「ユートピアン」だったんだと思います。
けれども、彼はこの本を書きのこしてくれました。「ヨーロッパの遺書」とも例えられるこの本を。
世界に絶望しながらも懸命に生きようとしたのは読んでいて痛いくらいに伝わってきます。激動の時代を生きるには優しすぎた彼の自死を責めることができるのは、WW2で酷な運命を背負わされながらも生きぬいた人たちだけでしょう。後世の人間が彼を責めることなんてできません。


決して気軽な気持ちで読める書物ではないかもしれない。でも、先に申しあげたように彼が生きた時代のヨーロッパを知りたいなら自信をもっておすすめしたいです。
そして戦争や大きな災害が起こったとき、大衆と社会にどのような変化が表れるのか。それを考えるための力にもなるのではないかと思います。

もっと早くに読むことができればどれだけよかったかと。
悔やんでいないといったら嘘になりますが、今よりも遅くならなくてよかったです。 

 

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

 
昨日の世界〈2〉 (みすずライブラリー)

昨日の世界〈2〉 (みすずライブラリー)

 

 (2015/6/17頃に書いたものの再録です)

『グランド・ブダペスト・ホテル』感想

あのシュテファン・ツヴァイクから想起されているとのことで(二重帝国出身の作家です)。
物語の舞台の旧ズブロフカ帝国なんてどう考えてもハプスブルク帝国を彷彿とさせるし、なんでホテルの名前がブダペスト?絵に描いたように美しいホテルってそりゃそうだ、ホテルの背景が絵だし!
公式サイトのあらすじを読んだ時点で「いい意味で」つっこみところ満載で、これは楽しい映画だろうなあと思っていました。

実際最初から最後までコメディタッチなんですが、「失われた時代」(いわゆるベル・エポック)への郷愁がかすかに漂っていて。
それはまさに、戦間期オーストリア第一共和国を学んでいたときに感じていたそれで。わたしが勉強していたのは、映画で取り扱われていた時代よりちょっと前なんですが。
オーストリアに限らず、この時代のヨーロッパはどこでもこんな空気が漂っていたんでしょうね。

コンシェルジュのムッシュ・グスタヴ・Hの、究極のおもてなしの一つである「夜のお相手」。
選ぶ女性が「金持ち」「老女」「金髪」「不安を抱えていて愛を必要としていた」というのも、「失われた時代」を彷彿とさせる一要素のように思えました。
そもそもグスタヴ自身が、「失われた時代」そのものを具現化したような人だったんだし。
だというのに、映画そのものは温かなぬくもりに包まれている。重い時代を扱っているのに、その重さを悲劇的に語らない。
あのモノトーンのシーンを除いて。

2回目、むりやりだったけど観に行ってよかったです。
もし行かなかったら、2回目で気づいたことや思ったことはブルーレイで観るまでお預けだったんだなーと。
ZとA。回るメリーゴウランド。一瞬が永遠になった瞬間。
陶器のペンダント。グスタヴにとって大切なものだったに違いないペンダントをアガサに贈るということは、ゼロとアガサ二人への最高の祝福。
若き日のゼロが、必死に拳を握って罵りに耐える様子。その瞳はでも、敬愛するグスタヴをまっすぐ見つめていて。

そして、晩年のゼロが作家に語る言葉の真意。
1回目は情報量の多さに圧倒されていてきちんと汲み取れずにいたんですが。2回目で再びその言葉を聴いたときは感嘆の息をついてしまいました。

あの、戦間期の20年、「誰も望まなかった国」とまで言われたオーストリアにもきっと、グスタヴのような人は確かにいたんだろうなって。
いや、どんな時代にもきっといるんでしょうね。グスタヴや、ゼロのような人たちが。
今の日本にもいてほしいなって、祈らずにはいられませんでした。



 

 (14/07/12頃に書いたものの再録)

『ハーモニー/伊藤計劃』 感想

<emotion>
作者が言うとおり、これは一種のハッピーエンドなんでしょう。でも、ハッピーエンドだと私は思えなかった。
私にとってみればバッドエンドに限りなく近い結末だったのに。
感動したのではない。でも読み終えたとき心は確かに泣いていた。
震災前に書かれた物語だということが、この物語の凄まじさを強く印象づけるというか。病床の淵で作者は何を思って書いていたんだろう。
インスピレーションって大事だね。

人間とは、人間らしさとは何か。幸福とは何か。

大災禍の結果、「おとな」は一つの幸福を追い、疑うことも考えることもしない。「わたし」を守ろうとすれば「思いやり」の名のもとに押しつぶされて。統制されて、管理されて。穏やかに個が失われていくせかい。
極端な表現と思われる方はいらっしゃるでしょうが、この萌芽は私たちが生きている現実にも確かに宿っています。
アナログ世界でも、デジタル世界でも。SNSツイッターは特に、文字として目に見える形で残ることもあってよく現れている。思い当たる節をたくさん見かけている。

たくさんの真理への問いと作者の答えがそこかしこにちりばめられていて、上げたらキリがない。
それでもあえて挙げるならば、私の目に留まったものの一つは「何のために人は書くのか」という問いと答え。
作者はこのとき、すでに自身の死期を悟っていたのでしょうか。

読み継がれていってほしいと、願ってやみません。
往かれる前に書いてくださってありがとうございます。読んでよかった、今出会えて、本当によかった。
</emotion>


 

 (2012年10月12日頃に書いたものの再録)